差別と平等

その人の属性ー例えば出身国ーは、その人と成りを判断するうえで少なからず重要です。海外に住んでいると、自分が「日本人」であることに助けられることは多々あります。もちろん、すべてのデンマーク人が、日本がG7の先進国であり、世界第3位の経済大国であり、技術的にはるかに進んだ国であると認識しているわけでありません。ときどき、とてつもなく野蛮な第三国からやってきたかのように扱われることもあります。まだらでツギハギの情報を元に、一国を理解しているためでしょう。何をもって、その属性を評価するかは極めて難しい問題です。

一番、分かりやすく、属性を客観的に評価したものは、パスポートでしょう。パスポートはもっとも強力な身分証明書で、その国の信頼度を如実に示します。つまり、その国が豊かで平和であれば、ビザがなくても入国できる国の数が多くなります。当然、先進国と発展途上国では、入国の時点で違いがあります。では、このパスポートは、入国した後の移民手続きでも威力を発揮してくれるのでしょうか。

「移民」となると、先進国から就労目的で来た人も移民、結婚して来た日本人もアフリカ人も移民、内紛で難民として救済を求める人も移民。いろいろな手続きにおいて、様々な「移民」をどのように扱うべきか。属性の問題はパスポートで評価されるほど簡単ではありません。つまり、それぞれの属性(国、性別、学歴等)で線引きすれば差別ともとられかねず、一方で、おしなべてすべての人に同じ手続きを取ると作業が非効率になってしまうからです。差別とは何か、平等とは何か、といったことまで考えさせられます。

運転免許証を出身国からデンマークのものに変更するときは、属性(国)による違いがあります。通常はデンマークで運転のテスト(理論と実技)に合格する必要がありますが、一部の国はそれが免除されていて自動的に変更可能とされています。日本はその優遇される国の一つです。台湾は認められていますが、中国は認められていません。

移民向けのデンマーク語の学校はどうでしょうか。

デンマーク語3つのコース

大きく分けて3つのコースがありますが、それは属性(学歴)によって分けられています。ほとんど教育を受けたことがなくアルファベットの筆記が困難な人、8-10年の教育を受けた人、12年以上の教育を受けた人の3つです。コースそれぞれに最終テストがあり、それに合格すれば次のレベルの中途クラスに編入されます。最後のコースの最終テストの合格は、デンマークにおける永住権取得の必要条件となっています。私が通っていたクラスはこの最終テスト直前のレベルでしたが、ドイツ人、イタリア人、日本人のG7国しかおらず、他の移民はどうしているだろうかと考えずにはいられませんでした。私が初めてデンマークに来た1990年ごろは、このような区別はなく、いろいろな境遇のいろいろな人がいたのを思い出します。初めて発展途上国の人と同じ教室で机を並べ、超低速なクラスの進度を経験したときは、正直「こんな世界があるのか!」と驚いたものです。現在は、少なくともこのような非効率さは改善されたとも言えますが、それが彼らをより社会の隅に追いやる結果になっていなければと願います。

そんな中で、もっとも平等に移民を取り扱うのが、結婚ビザの申請だと私は思っています。結婚ビザは、デンマークでは「家族が一緒になるためのビザ」(Family Reunification)と分類されています。このビザに分類されるビザは結婚だけとは限りません。難民としてデンマークに入国した人が家族を呼び寄せるのも「家族が一緒になるためのビザ」。従って、移民局の待合室は、結婚、結婚という雰囲気よりは家族、家族が中心の様相です。

さらに、結婚が事由であっても、ことは複雑です。デンマーク生まれのデンマーク人が外国人と結婚するケースー例えば私のパートナーと私ーは比較的単純です。しかし、外国生まれの外国人がデンマークの国籍を得て出身国の人と結婚するケースー例えばアフガニスタン人がデンマーク国籍を取得しアフガニスタン人と結婚ーは、想像するだけでも複雑そうです。しかも、近年の移民政策でこのようなケースが増えています。従って、ビザ申請にあたっては、奇妙な質問に答える必要があります。顕著なものでは、「デンマーク国籍を有する者はデンマーク語が一定レベル以上話せるか。証明せよ」「二人が最後に会ったのはいつか」。

私はこのようなビザ手続きにおいて、申請者の属性に線引きをし手続きを区別することが正しいことだとは感じません。しかし、入国や運転免許証では認められる優遇が、結婚ビザでは一切ないという事実にも疑問を抱きます。

結局、差別されるのは嫌だけど、優遇されるのは嬉しい、というのが本音です。平等という考え方は、差別される側にとっては重要ですが、既得権益を得てしまうと厄介なものになってしまいます。属性による違いは差別なのか、区別なのか。都合によって属性を使い分けたい。奇しくも大坂選手の「私は私。」という言葉が注目されていますが、その言葉を考えると、属性によってその人を評価することがいかに難しいかと痛感します。