「教育学」:自分語り

 

「自分のことを話す」「身近な日々の話をする」、これは誰にとっても大切なこと。それは年を取っても同じこと。老人ホームにいるお年寄りでも同じこと。

日の介護ヘルパー学校の「教育学」の授業で、最も印象深い先生の言葉でした。私たちは、知らず知らずのうちに、お年寄りは物静かに日々淡々と過ごしていると思い込んでいます。新しいことへの関心も薄れ、味覚も聴覚も衰え、生活は毎日同じことの繰り返し。話すことなど、ほとんどないように見えます。

も先生は言いました。「自分語りをすることに意味がある」。どんなに小さなことでも構わない。人が、人生や生活の一部を語ることは、その人のアイデンティティーと深く関係しているそうです。アイデンティティーとは、一言で言ってしまえば、「私は誰?」という問いに対する答えです。親しい人が亡くなり、自分の人生を知らない人に囲まれて過ごす日々は、自分という人間が消えてしまったかのように感じる、とある人は言っています。老人ホームでじっとしているおばあさん達。語ることを諦めてしまって、自分の価値観や存在意義を分かってもらいたいという気持ちも萎えてしまったかのようです。老人も、自分と同じように感じているとしたら、日々の小さな出来事の話を話したい、自分のこともっとよく知ってもらいたい。本当はそう思っているに違いないのです。

はコロナの在宅生活に一つ、感謝していることがあります。リモートワークだと、デンマークで午前10時頃に日本の母とラインで話せるからです。時差は7時間。普段だとなかなか、デンマークと日本でゆっくり話す時間帯が見つかりませんが、今は毎日ラインできます。下らない話をして終わりですが、それでも意味があるということを知って、少しは親孝行になっているのかもしれないと思いました。

お、デンマークには「自分語りカフェ」というのがあるようです。老人が老人ホーム、カフェや集会所に集まって、自分の人生を語るための催しですが、とてもいいアイデアだと思いました。コペンハーゲンを中心に、広がりを見せているそうです。「自分語りカフェ」はセラピーではないので、語って終わりです。しかし、語ることそのものがセラピーだと主催者は言っています。参加した86歳のおばあさんは「ビンゴや編み物には興味がない。何か他のことをしてみたかった。話をしているうちにいろいろ思い出した」と感想を述べ、「人生で辛かったときの話をすると、聞き手との距離が縮まる。むちゃくちゃ親しくなるわけではないけれど、すれ違いざまに、気持ちを込めて挨拶するようになった」と言っています。老人向けにそんな「おしゃべりZoom」があってもいいなと思いました。考えてみれば、私のこのブログだって、自分語りです。TwitterやFacebookだって、みんな自分語り。どこまでいっても、自分が見たこと、考えたことを人に伝えたい気持ちは同じなのです。

 

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